カミナシティが出来てから一年くらいの時間軸で身売り総司令シモンとその補佐官ロシウの陰鬱な会話。
一応シモネタですが直裁的な描写は無いというガッカリっぷり。
退廃的な文を書こうにも只の説明文になるこの筆力どうにかならんもんでしょうか。
用があるのだか無いのだか、少なくとも会わなければならないと思っていたのは確かだった。何処か億劫な気分があったのかもしれない。それでも責務に忠実な青年は必要性があれば動かずにはおれなかった。重苦しい溜息を吐きながら目的の部屋の前に立ち、それから彼は部屋の主以外にも誰かが居る気配を察した。慌ててロシウは扉から体を引き剥がす。遠慮、と言うよりは嫌悪に近く、それより正しいのは恐怖だった。
吐き気がこみ上げるほど鼓動が不確かになる。目眩を憶えながら書類を抱える腕に力を込め辛うじて足取りを確保した。扉から離れ手近な角を曲がって身を隠す。幸い、この広すぎる居住区には人影がなかった。そう、この場所は広すぎる。世界を制した男の居城として、また政の中心として使われている建物は彼等に与えられるにしては広すぎた。短い腕にも狭い背中にも抱えられず背負いきれない。
それでも一度引き受けてしまったからにはどうにかしなければならないのだと、頭痛を振り払ったところで戸が開く音が聞こえた。出てきた人間の姿を確かめる気力が湧かずに逆方向へ遠ざかる足音に耳をそばだてる。
床を靴底が叩く音が聞こえなくなり、静寂に耳が痛むまで待ってからやっとロシウは目的の戸の前に立った。少し前までの暮らしでは想像もつかないような継ぎ目のない材質に触れ、そっと力を込める。鍵をかけていない入口は容易に彼を迎え入れた。
「…なんか、用か」
だが同時にロシウを迎えた声は疲労を乗せて疎ましそうに響く。このところ癖になったらしい尊大な口調が更にぼやいた。
「後始末終わってねえんだけどな」
声音にロシウへの気遣いなど欠片も無い。そう遠くない昔、共に青空にはしゃいだ記憶が一瞬だけ脳裏を掠めた。けれどそれを裏切るように薄暗い部屋の中には饐えた臭いが漂っている。息が詰まる感覚を覚え、ロシウは肺腑を満たす濁った空気を吐き出した。
「また、…ですか。総司令」
自然固くなる口調に笑う気配が届く。嫌でも瞳を眇めてしまい、向き合った相手が温もりのない笑みを深めた。
合わせるようにぎちりと寝台が鳴る。支配者の私室とは言え穴蔵育ちの総司令が選んだ部屋はあまり広いものではなかった。今彼が陣取っている寝台と、やや手狭な机と、僅かな私物を置く棚と。立場を鑑みれば貧相とも呼べるような部屋だった。
そこで毎夜のように行われている行為を誇示するように、裸の少年が己の肌を撫でてみせる。年齢を重ねたとは思えない幼い外見をやけに猥雑な色をした瞳が裏切っていた。
「ご褒美くれてやりゃあ尻尾振って言うこときくんだ、可愛いもんだぜ」
くすくすと笑い眼を細め、だというのにその顔には健全さを見いだせない。薄く汗を纏う以外に衣服もなく、見ようとすれば脚の間の汚れも残っていた。後始末前だという言を思い起こしてロシウの眼裏でちかちかと光が散る。悲しいのか腹を立てているのか自分でも判別がつかなかった。
「あなたと言う人は…!」
身に付いた潔癖さが口を開かせても続く言葉が出てこない。喉の奥で空気が固まったように唇が戦慄いた。
体を売って得た従属など信用に足らない。そもそもそんなことを要求される時点で相手もこちらも為政者として未熟に過ぎる。咎めるための言葉なら幾らでもあった。
だがそのどれもがシモンを説き伏せるだけの力にならないことをロシウは知っている。そんな問答、もう何度も繰り返してきたのだ。
顔を歪めた馴染みを見つめ、鼻で笑ったシモンが四つん這いで距離を詰めた。獣めいた動きで近づかれ意図せずロシウの脚が一歩下がる。自身の舌で形を辿られたシモンの唇が吊り上がった。
「…知ってるんだぜ、ロシウ?」
揶揄を含んだ声に耳をくすぐられ、いつもは真っ直ぐに伸びている背中が震える。シモンの言葉と挙動を眼にする度に逃げ出したくなった。だが白い指先に頬を一撫でされた途端、部屋から出て行く意志すら崩れる。膝から抜けそうになった力をどうにか留めたところで感情の色が一切無い灰色の瞳と視線が交わった。見上げてきているくせに見下げた目つきでシモンは問う。
「お前、新しいカオガミ様が欲しいんだろ?」
確信している言葉遣いだった。声にも意味にも心臓を突き刺され、反射的にロシウは自分に触れた手を腕で払う。
「違う!僕にとって、貴方は」
悲鳴によく似た反駁は、最後まで言わせて貰えなかった。
「どう違うんだよ?
人間を支配する為の道具。人の心を束ねる為の装置。
そうだろ?」
隈さえないのに闇より暗い眼に引きずり込まれる感覚を覚える。見たくはないのに見なければならなかった。何故か。
本当は、シモンの言うとおりだからだ。
地下に暮らしていた人間達が溢れ出した地上をどうにか平穏無事に保つには、彼等へ共存のための仲間意識を植え付ける必要があった。螺旋王から王座を簒奪した愚かで弱い子供達は、だからどうしても偶像を作らなければならなかったのだ。
強く、賢く、屈しない、人間を守り救う英雄の虚像を。
認めざるを得ずにけれど己の卑怯さが辛くて悔しさを表に出したロシウからシモンが目を逸らす。なにもかも解っているとでも言いたげに、彼は歌う口調で論った。
「戦わなけりゃ俺の使い途なんてそんなもんだよな。
ガンメン乗るか穴掘るかしかねえんだから…あぁ、男の相手も出来るか」
卑屈な言い種のくせに穏やかな笑顔を見せられてどうにもならない感情が胸に迫った。沸き上がる破壊衝動を吐き出してしまいたくてロシウは拳を振り上げる。滅多に見せない激昂を向けられて、それでもシモンはただ静かにその仕草を眺めるだけだった。感慨のないその顔に握った筈の手が震え解ける。
「殴りたいならそうしろよ。
だけどな、どんなに俺を汚いと思おうがもうお前はここから逃げられないぜ」
お前も共犯なのだと言外に語り、座り込んでいたシモンが寝台の上に膝で立つ。近づいた視線からロシウが逃げるよりも速く、鼻と吐息が触れる距離でシモンが囁いた。
「仲良くやろうじゃないか、ロシウ。
…俺たちが喧嘩してると、兄貴はきっと嫌がるからな」
脳に射しこまれる囁きの語尾が甘さを纏う。それが何故なのかをロシウは知っていた。どうしてシモンが偶像で居られるのか、そしてその裏で他者に身を食わせることすらも平気で居られるのか、ロシウは嫌でも理解する。
そして察したことを肯定するようにシモンが殊更無感情に呟いた。
「兄貴の遺したものの為なら、屑でも神でもなってやる」
心を含んでいないのでは、ない。孕む感情が強すぎて平板になっているだけだった。かける言葉が見つからずにロシウは目を閉じる。のろりと傍にあった体温が遠ざかり、それが少しだけ寂しかった。
獣人を殺すより人を生かす方が苦しいなんて間違っている。敵のいなくなった地上は楽園となった筈なのに、今や自分達にとっては行き止まりだった。 そうだここはシモンの部屋だというのに土の臭いが少しもしない。それだけで、もう、本当におかしいのだ。
少し前まで、あんなに必死で辿り着こうと走り続けていたというのに。目の前にそびえているのは壁ではなく先のない袋小路だった。
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