スパイラルネメシス覚醒シモン+それに同行するちびっこの話。
割と暗い感じにまとめあげた感あり。けどまあ筆力の関係であまり上手いことは…まあいつもか!
前に書いてみたはいいけど上手くいかなかった話の焼き直しっぽいかもしれんなあ。
シーン切り取り型な感じになっていますが長々やってもアレな話にならんので許してやってください。
ドアの向こうから聞こえた幽かな音に子供の肩が大きく震えた。チェーンの鳴る音と固い靴底が廊下を叩く音、どちらもいつもなら安堵を呼ぶはずのものがたまらなく怖い。
ゆっくり近づいてきた音が扉の向こうで止まった。ただでさえばくばくとうるさい心臓が大きく高鳴る。電気を落とした部屋の中で自分の呼吸が耳を打ち、血流の激しさで脈が音として認識出来るほどだ。そのせいで、外の幽かな音を聞き取ることが出来なくなる。
駄目だ。隠れなきゃ。
思ったのに身体は咄嗟に動かなかった。寝台の隅で膝を抱えたまま歯の根まで合わなくなる。恐ろしいのに凝視したままの視線を離せなかった扉がぷしゅっと間抜けな音を立てて開いた。暗闇に慣れた目に射し込む光はその向こうに立つ人影を揺らめかせる。
「…ロシウ?ここにいたのか」
ほうっと一息吐いて、子供を捜していた青年は部屋の中に踏み込んできた。遮るものの無くなった鎖と靴音に脅えてロシウは幼い手で自分の頭を抱える。
「どうしたんだ、灯りもつけないで」
当たり前に青年は壁のスイッチに手を伸ばし、蛍光灯が膝に顔を押しつけ丸まる子供の姿を容赦なく照らし出した。
影とも見えた青年は藍色の髪を揺らして小首を傾げる。ぱちりと灰色の瞳が瞬いた。
「腹でも痛いのか?ロシウ?」
案じる声で言いながら、膝丈のブーツは足早に寝台に近づく。ベッドの端に腰を降ろされた気配にますます腕に力を込めた子供の頭を男にしてはしなやかな指が撫でた。
その仕草も、声も、限りなく優しい。
普段なら何も考えずに抱きつく相手だった。けれどロシウはもうそうすることが出来ない。
だって、解ってしまったから。
辛くて怖くて涙が滲み、その様子を見て慌てた青年が黒い外套の腕でロシウを抱きしめた。抱え込まれた頭が痩せた胸に当たり心臓の音が耳に流れ込む。その律動に安心して眠りに落ちたことも何度もあった筈なのに、今それはロシウの視界を霞ませた。
喘いだ喉から漏れそうになった悲鳴を無理矢理唾ごと流し込む。背を撫で宥めてくれる手の温度が温かくて怖かった。ぎゅっと瞑った瞼の裏に嫌でもちかちかと光が瞬く。言わずに済ますことはどうしても出来なかった。
「宙の…お星様、が…」
弱々しく掠れた声を出すのがやっとで、それだけでも力を込めた指や手の平に汗が浮く。けれどロシウが必死に絞り出した声を彼の大好きな、そしてそれ故に恐ろしい人は正しく受け取ってくれなかった。
「ん? ああ、そうか」
瞬きのあと、勘違いしたままあまりにも朗らかに青年は告げる。
「大丈夫だ、ロシウ。もう全部ねじ切ったから、怖いものはなぁんもない」
甘やかす声音にまるで内臓を直接冷やされたような感触を憶える。がばりと勢いよく顔を上げた先には無邪気とも呼べるようないつもの笑顔があって、子供は表情を凍り付かせた。
「ロシウ?」
不思議そうに名を呼ばれ、次第に柔らかな頬が引きつり黒い瞳が縮む。
シモンさん。呼び掛ける音色は泣き声に近かった。
「…あの、お星様の…一つ一つに、人がいるんですよね!?」
最初つっかかった言葉は言いだしてしまえば止まらない。ロシウを見下ろして曇った貌が訝しげに頷いて応じた。
「ヒトと呼ぶかは解らないけど、螺旋族は乗ってるんだろうな。
でもそれがどうしたんだ?」
当たり前に過ぎると困惑を見せる青年に、遂に子供の心が決壊する。抱きしめる腕を振り払い、何度も頭を振って黒髪が乱れた。
「だって、だって…! それじゃ人殺しじゃないですかっ!」
言いたくなかった言葉、認めたくなかった事実を無視出来なくてロシウは悲鳴を上げる。
もういつからだったのか思い出せないが自分はずっとこの戦艦に乗っていた。これが戦う道具だということは解っていて、毎日のように宙に散る光を撃ち落として進んでいることだって知っていた。だというのに今日この日に気付くまでその意味に思い至らなかった。
自分の愚かさが恨めしい。そして、自分を心底慈しんで育ててくれた男がたまらなく恐ろしく思えて、それが嫌で、でもどうしようもなかった。
「ねえ、シモンさん!どうして!!」
言葉を重ねる内に金切り声になりながら丸みを帯びた手が紅い襟元を握って揺さぶる。必死に訴える子供に、だがその庇護者は絵本を読んでくれるのと同じ調子で答えた。
「ロシウ、どう足掻いたってスパイラルネメシスは起こるんだ。
だったらこれ以上宇宙が広がらないうちに俺が滅ぼしてしまった方が、悲しみの総量は減るだろう?」
あやす声音で言いながら小刻みに揺れる手を長い指が撫でる。かさついた感触とぬるい温度に肌を侵食されそうでロシウは意味を持たない細い声を漏らし何度もいやいやをした。闇色に程近い灰の瞳が悲しげにその仕草を映し込む。
「駄目なのか、ロシウ?」
彼が嘆く声を、おそらくロシウは初めて聴いた。そんなふうに話し掛けて欲しくはなかった。悲しんでなんて欲しくなかった。
けれど駄目だ。山ほどの命をその手で握りつぶしてしまう、それをロシウはどうしても許せない。知りもしない命の為にどうして自分がここまで頑なになれるのか子供自身も理解はできなかった。
頑是無く首を振り続けるロシウの黒髪に今一度白い指先がさし込まれる。するりと撫でながら小さな身体を抱きしめて、そっとシモンは呟いた。
「ごめんな、ロシウ…次は上手くやるよ」
囁きの意味を理解出来ず思わずもたげたロシウの首をシモンの指先が伝う。そこから先は少年の認識の枠を越えていた。
ずぶりといとも簡単に皮膚を貫通し、いやまるで溶け込んだかのように指先が首に埋まる。神経の束に触れたその末端がごきりと本来他者が触れることなど出来ない筈の部分を捻った。何が起こっているのか解らない間にロシウの血管と神経を緑の光が満たし彼の身体を分解していく。痛みもなく自覚もなく、黒い腕の中から少年の姿が消え去った。
認識システムから印が一つ失われたことを知り、子供達がはしゃぐ艦橋からブータはそっと席を外した。彼を人の姿に形づくる螺旋力は思うだけで主人の傍へと導いてくれる。
一瞬の意識の寸断を終えてブータが再構成された空間には過たず彼の主が鎮座していた。子供用のベッドに腰を降ろしぶらぶらと足を遊ばせた彼は自らの忠実な僕を認めると大きく息を吐いて消沈した言葉を漏らした。
「どうしてロシウはいつも俺のこと嫌いになっちゃうのかなあ」
真実理解出来ていない顔が今にも泣きそうに歪む。その腕の内にはかつて彼が背中を預けた青年が肌身離さず持っていた書物が囲い込まれていた。
ああ、ロシウ。
傷心する主人が求める答えをブータは知っている。だが彼はサングラスの向こうからシモンを見つめるだけに留まり答えを口にしようとはしなかった。
それは貴方が、本質的にロシウという人がこの行為を許さないことを知っているからです。
ロシウだけではないでしょう。カミナもこの間貴方に噛み付きましたね。ニアだって泣いて貴方に訴えましたね。ヨーコは怒り狂っていたじゃないですか。もう何度も、何度も、あの子達にそうやって貴方は反旗を翻され続けて来た。
貴方のイメージから生み出された貴方に都合の良い子供達は、それでも貴方が抱く人物像から離れることは永遠にないのだから。
そうと告げたところでシモンには理解できないだろう。
スパイラルネメシスの避けられぬ理を理解した瞬間からシモンは壊れてしまった。逃れられない破壊衝動と己の螺旋力が求めるまま力を振い、壊し、望むままに歩み続ける。
昔、遠い昔には小さな獣の姿だったはずの男は壊れた主人と同じく、しかし違う意味で嘆息した。
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