カミナの死にまつわる話も書いていたのですが、長くなりそうだったので前から持っていたシモンのネタを形にすることを優先しました。
……前も似たような話書いてるだろお前とか済みません……。
地震があった。この村では日常茶飯事。
死人が出た。この村ではよくあること。
揺れがどんなにか恐ろしいものか、夢物語に聞かされていた俺は。
人が死ぬということがどんなに重大なことか、まだ覚束なかった俺は。
その日、その両方を思い知った。
俺に言い聞かせてきた母さんも、俺に戒めを口にした父さんも、岩の下敷きになってひしゃげて死んだ。
本当に、この村では珍しくもないことなのに、どこかでずっと他人事だと思っていたもの全てが俺に降り注ぐ。
信じたくない……というよりも信じられなくて、俺は崩れた一角の前で何日か突っ立っていた。
触れれば端から石が転がり落ちるようなその場所の奥に、確かに俺たち家族は暮らしていて、そして父さんと母さんがまだそこにいるはずだった。
例え落石で死ななくても、水もないところに閉じこめられて生きていられるわけもない。
死が明白な時期になって尚、俺はどこかでふたりが生きているような気がしていた。
たぶん、それは父さんと母さんの死体を見ていないから。
本当の本当に、もう取り返しのつかない姿を知らないから。
だからどこかでなけなしの希望がくすぶり続ける。
でも骨だけでもと願ったところで、地盤がぐずぐずになったこの一帯を掘ることが出来ないのは自分で解っていた。解ってしまう自分が嫌だった。
家族がいなくなった子どもは村長の手元に集められるのが普通で、そして食い扶持は働いて稼がなきゃならない。
与えられるのはたいてい落盤で死ぬかもしれない穴掘りの仕事。だって、みなしごが死んでも誰も悲しんだりはしないから。
俺はそこで掘って、掘って、掘り続けて、父さんと母さんの墓の代わりに村を広げる穴をただ掘り続けた。
朝は一番に穴に入って、仕事を終えるのは一番最後。
そうして仕事に馴染んでいくうちに同じみなしごたちは元より、同年代の子どもたちも俺に近づかなくなった。きっと、俺といても楽しくないから。
俺も、他の子たちと騒ぐ気にはなれなかった。
土の中でひとりでいる分にはいい。昨日と同じことだけをしていれば、記憶は増えない。母さんと父さんの記憶を押しつぶしてしまうこともない。
一日無心に穴を掘って、寝るときはふたりのことを思い返して眠る。
そんな毎日が続いて、それでいいと思っていて、なのに。
────ある日俺は、母さんの声が思い出せなくなったことに気づいてしまった。
ありえない。だって毎晩母さんが歌ってくれた子守歌を思い出していたのに。
父さんが教えてくれた色々なことだって憶えている。だけど、でも、ああ。父さんはどんな風に、どんな言葉で、それを俺に教えてくれたんだっけ?
教えて欲しくても、死んだ人のことなんて他の村の人々はもうとっくにどうでもよくなってしまっていた。
父さんと母さんはもう俺の中にしかいなくて、なのに俺すらふたりのことを忘れていってしまう。
泣き叫びたくて誰かに抱きつきたくて、だけどもう俺を抱きしめてくれる母さんも慰めてくれる父さんもどこにもいなかった。
俺にあるのはドリルだけ。俺にできるのは穴を掘るだけ。
掘っている間は何も考えなくて済む。穴蔵の中は俺の心を空にしてくれる。
父さんと母さんを憶えているためにはもう仕事だけじゃ足りないんだと思った俺は、夜に寝場所を抜け出すようになった。
消灯の声が途絶えたら大部屋で眠っている他の子たちを避けて、村の隅の誰も来ないところへ向かう。
一晩の間に丸くなれば俺がすっぽり収まるような穴が出来上がって、後はもうひたすら奥へ奥へ掘り進むだけだった。
村長に見つからないように外れに掘ったその穴は、地盤のこともあまり考えていなかった。ひとりになれることが大切で、父さんと母さんの記憶を保存しておけることが大事だったから。
もしもこの穴の中にいる間に地震がきて生き埋めになったら?
頭をかすめなかったわけではないけれど、気にするほどのことでもなかった。
だってそれは母さんや父さんと同じになるだけだから。
同じように村の人から忘れ去られて、土の中に埋まってしまう。
俺はもしかしたらその時、お墓を掘っているつもりだったのかもしれない。
俺と、そして俺の中の父さんと母さんの記憶が永遠に眠る場所。父さんと母さんには作ってあげられなかったお墓を。
ごりごり地面を掘る音は、心臓の音と同じくらい俺の耳に染みこんでいた。
もう父さんと母さんの声は思い出せない。それが辛くて俺はボロボロ泣きながら涙が染みこんだ土を掘っていく。
どこかに行きたいとかそんなんじゃなく、ただ掘ることだけが俺の手の内にあった。
それ以外に欲しいとも思っていなかった。
どれだけ深く続けていたんだろう。もしかしたら、思っていたほど長くはなかったのかもしれない。
いつものように寝床を抜け出して、穴に潜って、ドリルを突き立てようとした俺の足にこつん、と石がぶつかった。石はひとつ、ふたつと続いていくつも俺にぶつかる。
とうとうこの穴も崩れ始めたのかとぼんやり思っていたところで、人の気配がした。心臓が跳ね上がる。黙って穴を掘っちゃいけないって、俺だって解ってはいたから。
怯えて入り口を見上げると、誰かがここに入ろうとして、でも狭くて無理だと諦めたところだった。その誰かがもう一個石を転がしてくる。今度は少し大きくて、尖っている端っこが俺の膝を切った。
思わず息を呑んだ俺の耳に、「やっぱり誰かいやがる」って知らない声が入ってくる。父さんとも母さんとも似ても似つかないことだけ解った。
だけどその声は村長を呼んだりはしなくて、穴の中に押しつぶした声を籠もらせる。
「おい、出てこいよ」
知らない人は怖くて、だけども騒がれてしまったらもう毎晩抜け出すこともできなくなる。仕方なく這い出ていくと、もうちょっとで出られるというところで襟首を掴まれて引きずり出された。
「っ……!」
びっくりして丸くなった俺の目を、真っ暗闇の中でも光って見える赤い瞳が見下ろしてくる。地面に座ってすくんだ俺の前にしゃがむと、俺より年上の男の子がばしばし乱暴にポンチョについた汚れをはたいた。最後に、俺の額もべちっとはたかれる。
「バッカかお前。
んなとこで寝てたら地震来たとき一発で生き埋めになんだろうが」
寝てないよ、て言いそうになったけど、でも寝て無くても生き埋めになるのは同じだなって思ったから言い返せなかった。それに、やっぱり、よその子は怖いし。
だけどその男の子は俺の気持ちなんか全然関係なくて、穴の中に首だけ突っ込んで覗き込んだかと思うと、またじっと俺のことをみつめてきた。まっすぐすぎる眼が恐くて俺は俯く。
「これ、かなり深いよな」
頷くのが精一杯だった俺は、少し遅れて相手の声が妙に嬉しそうだというのに気がついた。なんでだろう。なんなんだろう、この子は。
訳が分からなくて何度も瞬きする。男の子は「よし」と自分の膝を叩いて立ち上がったかと思うと、よく通る声でこう言った。
「お前、俺の弟分になれ!」
そんな大声を出したら大人に気づかれてしまう。ひきつって顔を上げた俺を見下ろして、男の子は満足げに頷く。
「せっかくこんだけ掘れるんだ。下じゃなくて上に掘れ!」
びっ、と高々腕が天井を指さす。言っていることが飲み込めない俺は、的はずれに呟いた。
「だって俺、兄弟いない……」
上とか下とか以前のことを言ったつもりだったのに、男の子はそんなの気にしてないらしい。
「おう、だから今から俺が兄貴だ。
このカミナ様を兄貴って呼べ!」
ふんぞり返るカミナは、俺がなにを考えてるのかなんてどうでもいいみたいだった。指さした天井を見上げてきらきらした笑顔を浮かべる。
「いいか、あのフタの上には地上ってモンがある!
そこには壁もねぇ。天井もねぇ! 別世界だ!」
おとぎ話にしても笑われてしまうようなことを、カミナは当たり前に言った。それに俺は地上があったってなくたってどっちでもいい。ただ、穴を掘って父さんと母さんのことを思い出していられれば。
なのにカミナは俺の手を取って立ち上がらせる。握ってくれた少しだけ大きな手はとても温かかった。父さんでも母さんでもないのに、温かかったんだ。
「俺と一緒に来……」
たぶん、誘ってくれるつもりだったんだろうけど俺は最後まで聞くことが出来なかった。
「カァミナー!!」
「げっ!」
村長の野太い声が静かな村の中に反響する。やっぱりあんな大きな声を出してみつからない筈がない。カミナは慌てた、でも手慣れた様子で俺の手を引いて走り出した。俺はカミナの背中を追いかけて走る。それからずっと、そうやって走り続けることになるとも知らずに。
俺はその夜、父さんと母さんのお墓に、さよならをした。
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